2013年御翼5月号その4

『日本の近代化とプロテスタンティズム』の序文を書かれた上村敏文准教授

 先日、教文館から出版された『日本の近代化とプロテスタンティズム』の序文で、上村敏文先生は、以下の内容を書かれた。西欧から来たキリスト教(カトリック)は、布教を急ぐあまり、武力によってアジア、アフリカをして植民地化し、そこにキリスト教を植えつけていった。これを、神学者小山晃(こう)佑(すけ)氏は、「神学的短気」と表現する。これが、日本でキリスト教が土着化しなかった理由の一つであるという。そして、上村先生は、私たちの牛込教会についても以下のように序文に記された。「新宿にある単立教会牛込キリスト教会の故佐藤陽二氏が、俊英を集めた海軍兵学校において原爆を投下したアメリカに対して敵愾心(てきがいしん)と復讐心に燃え立つ中、『復讐は神にあり』という一言を聖書に見い出し、牧師となりさらに戦後間もない、おそらくは反日感情が根強く刻まれたアメリカに逆に宣教にいかれたという」と。キリスト教を中心とした秩序を維持するために、敵への攻撃を正当化する米国政府のやり方は間違っており、それに正面から向かっていった牧師が佐藤陽二であるというのだ。
 更に上村先生は、明治政府が国教のように位置づけた国家神道とは違い、古神道(こしんとう)は真理を求めるものであり、先生が大学三年の時に出会った一人の無名の神道家から、結果的にはイエス様の教え、十字架の神学、贖罪論を無意識的に学んだという。特にその方は、イエス様について、「全人類の罪を背負うて、十字架にかかってくださった」と常々述べられておられ、「神の唯一の独り子」として最大の敬意を表しておられた。
 米国が失っているキリストの精神を、日本人はそれとは知らずに、ずっと持ち続けていた。それは、神道という形で入り込んでいたにもかかわらず、欧米の宣教師らが、それを「異教」だと言って排除し、自分たち流のキリスト教を押し付けようとしてきた。内村はそれを知っていた。だから、米国の宣教団からは独立した日本の教会が必要だと言った。しかし、日本の教会が内村を不敬事件ゆえに煙たがったので、彼は「無教会派」となった。有り難いことに、父・佐藤陽二は、無教会派の流れ(酒枝義旗先生)にありながら、十字架の付いている教会を始めてくれた。それは、かつてエミール・ブルンナーに、「教会や牧師はいらないのではないか」と尋ねた時、「あれかこれか」ではなく「あれもこれも」なのだと言われたことによる。教会があるからこそ、世代を通じて信仰が伝わるのであり、内村鑑三の抱いた日本の独立教会の流れを持つ、現在の牛込キリスト教会に、真の教会の素地がある、と上村敏文先生は言われるのだ。
 このような先生との出会いが聖霊の導きであり、今後、日本にどのようにキリスト教が定着するのか、新しく発想し、行動に移して行けるのだ。

 

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